牧師の部屋

永井明著「詩的イエス」

旅に出た博士たち

東の国の博士たちは
不思議な星を見て
キリストの誕生を
知った

知って どうしたか
すぐに 駱駝にのって出発した
キリストの前に
ひざまずくためである

友人のだれからも
親族のだれからも
理解してはもらえなかった
非難と嘲笑を浴びながら
旅に出た
砂漠の旅はらくではない
地図もなかった
目じるしとなるものは
昼もかがやく
不思議な星だけだった

星は彼らを
小さな村外れの
みすぼらしい馬小屋に
案内した
博士たちは失望した
馬と牛とが
もぐもぐとわらをはむ
傍らに
ぼろにくるんだ赤ん坊が
ひとリ
眠っているのを見ただけだったからだ
どこにでもいる
ふつうの赤ん坊と
ちっとも変わってはいなかったのだ
だが やがて
赤ん坊が目をさまし
にっこり笑ったとき
博士たちにあたえた変化は
驚くべきものがあった
その笑顔は
ほかの子どもとはちがっていた
不思議な輝きにつつまれ
博士たちはまばゆさに
目を伏せ ひれ伏した

かつて覚えたことのない平安に
心を充たされた彼らは
用意してきた宝物を
赤ん坊の前に捧げながら
ああ
これこそわれらがたずね求めた
救い主!
ああ
われらの苦しい旅は
むだではなかったと
せきあぐる涙を
拭いもしなかった
 
それから
二千年たった
今 私たちは
不思議な星のかわりに
聖書を見て

キリストの誕生を
知る
 
だが 知って
何をしたか
東の国の博士たちのように
駱駝にのって
砂漠の旅をしたか
友人や親族から
キリストのことで
罵倒されたか
いや いや
わたしたちは昨日のままだ
旅になど出かけぬ
ストーブに火をいれ
朝のコーヒーの香りをたのしみながら
テレビで
えらい神父さまのお説教をきいて
キリストはえらいなあと
 
感心する
ただ それだけだ
 
だからわたしたちは
馬小屋のキリストに
お目にかかれぬのだ
こころが
光と平安に充たされぬのだ

旅に出よう
わたしたちも
駱駝にのって砂漠の旅に出よう
そのとき
あの不思議な星が
燦として
わたしたちの頭上に輝くだろう

(マタイによる福音書2章1節~12節)