牧師の部屋

永井明著「詩的イエス」

空腹

先生でも つらかったことや
苦しかったことがありますかと
ある日 道を歩きながら
弟子たちがたずねた

そりゃ あるにきまってるじゃないか
と イエスは笑った
たとえば どんな……?
そうだなあ やっぱり
腹がへったことだなあ
荒野で四十日断食をしたときは
目がくらんで動けなくなった
石っころが
パンにみえるんだ
そこヘアクマがやってきたんですね?
そうなんだ
アクマのやつ いかにもわたしに
同情するような調子でね
あの石っころをパンにして
食べたらどうだと
すすめるんだ
あんなに苦しかったことはないなあ
いまでも
石っころを片っぱしから
パンにして
むしゃむしゃかじる夢をみるよ
イエスは屈託なく笑った
だが
弟子たちは笑わなかった
空腹だったからだ

一行は麦畑にさしかかった
黄金色にうれた
麦のあまい杏りが
空腹な弟子たちの
鼻のさきをくすぐった
思わず弟子たちは手をのばし
麦の穂をつんで
口の中へいれた
安息日になすべきことではなかった

イエスは もちろん
そのことをしっていた
通りがかったパリサイ人が
これをみて
息もつけぬほど呆れ
怒りに頬の筋肉を
ぴくぴくさせながら
足ばやに立ち去って行ったことも
しっていた

だが イエスは弟子たちに
一言の注意もあたえようとは
しなかった
空腹のつらさを
だれよりも深くしっている
イエスだからだった

(マルコによる福音書2・23~28)