「詩的イエス」
永井 明さんを偲んで、彼の書かれた「詩的イエス」をここに起こします。
わたしが永井 明さんに出会ったのは、30年も前のこと。友人の金城信一郎(現在 神の教会「沖縄ゴスペルファミリーチャーチ」の牧師)さんが、 「神の教会」に属する「深谷教会」で、信徒伝道者として働きつつ、日本聖書神学校で学んでいた時、つまり一緒に学んでいた頃のことでした。
永井さんは1921年生まれで、小児麻痺を患ったことから、歩くことに不自由なお身体でしたが、元気に明るく「深谷教会」においてご夫妻で生活しておられました。当時、若造の わたしは、ご夫妻から親しい交わりをいただきました。
「あとがき」から
近頃は、<史的イエス>に関する議論が大変さかんだそうですが、わたしの心を捉えたイエスは<史的イエス>ではなく、<詩的イエス>でありました。わたしにとって福音書のイエスは、死んだ、過去のイエスではなく、今も生きて、このわたしに語りかけられるイエスであります。
この貧しい詩集は、そのイエスとわたしとの対話だと思って読んでいただければ幸いです。福音書をひもとく度にわたしの心にゆらめき、映ったイエスの姿を、思いつくままにわたし自身の乏しい言葉で書き綴ったものです。
彼の語りかけには比類のない爽やかさがありました。泥々に汚れて身動きもできなくなったわたしの心が、そのきびしい爽やかさによって、どんなに慰められ、励まされたことでしょう。ついにわたしは彼の前に跪かずにはいられなかったのです。この小詩集が、こうしてわたしのかけがえのない救い主、キリストとなったイエスへのささやかな賛歌となれば、それでわたしの願いは達せられたのです。 (1975年3月)
わたしは、キリスト者として躓く時に、そして牧師として躓く時に、永井 明さんのこの詩集にどれほど慰められ、励まされてきたことか。わたしの精神構造にも大きな影響を与えてくれた詩集です。
中央出版社(現在・サンパウロ社) 昭和50年(1975年)5月15日 第1刷発行 から転写しました。
表紙にはだいぶ汚れが着きましたが、宝物です。著者のサインも付いています。
著書 『聖アウグスチヌス』、『終わりのない道』、『ごっつあんぼんたん』、『十のいましめ』その他。
現在、サンパウロ社に掲載許可を申請中です。(この本は絶版になっています)
一編に一つずつカットを載せる予定です。