牧師の部屋

永井明著「詩的イエス」

なおりたいのか

ベテスタの池で
三十人年もわずらっている男に
おまえさん
なおりたいのかね? と
声をかけた
イエスの言葉は
ただの挨拶ではなかった

  言葉をかけた以上
どこまでも責任をもって
相手のねがいをききとどけてやるのが
当然だという態度と気魄が
イエスにあった

  だから イエスが
起きよといえば
男は起きあがり
床を取りあげよといえば
男はすぐに床をあげて
歩き出した

  イエスが口から出した言葉は
直ちにそのまま
現実となった

  天地創造の神が
光あれといったら すぐに
光があらわれた
すなわち
神は言葉であり
言葉は神であるからで
このとき イエスは
人間の子ではなく
まさに神の子・キリストだった
のちに
言葉が現実とならぬ嘆きを
苦しみ 呻きつつ
ロマ書七章を書いたとき
パウロは
このイエスをどんなにはげしく
嫉妬したことだろうか
  
(ヨハネによる福音書5・2~9)