牧師の部屋

永井明著「詩的イエス」

スカルの井戸

スカルの井戸についたとき

そんなに暑い日射しではなかったが
ほこりまみれの石ころみちを
せっせと歩いてきた
イエスのひたいは
うっすらと汗ばんでいた

  あ すまんけど
水を一杯ごちそうして
もらえんだろうか
声をかけると
え あんた ユダヤ人だろ?
サマリヤの女に
水をくれなんて
どういうこと?
じろりと
皮肉な流し目が
かえってきた
 
その流し目の下に
くっついて
ちょこんと天をさしている
小さな二つの鼻の穴に
ユーモアを感じて
イエスは微笑した
 
そんなむずかしいことを
いわずにさ
つんとしたまま それでも
女は
異邦の旅人のために
一杯の水を汲んだ
歯にしむつめたい清水が
ごくりと
イエスののどを鳴らした
ああ、うまい!
礼をのべて
イエスがこっぷをかえすと
女がいった
おまえさん ただってほうはないだろ!
 
なるほど
イエスは苦笑した
こりゃすまなかった
それじゃ わたしはおまえさんに
いのちの水をあげるとしよう
 
いのちの水?
なんだね いったい そりゃあ
  この井戸の水とちがって
一度飲んだら
もう決してのどがかわかぬ
水だよ
へえ そんな便利な水があるなら
もらいたいもんだねえ
 
あげるから ここへ
ごていしゅをよんでおいで
 
ごていしゅ?
そんなもの わたしにゃないよ
 
そうか いまのは
ありゃ ごていしゅじゃないんだね
そうすると
これまでの五人も
ごていしゅじゃなかったんだね
 
女はくちのなかで
おもわず
あっ と叫び声をあげた
とんがった眼が
めらめらと燃えあがった
イエスは 微笑をつづけていた
 
だれが あんたに
そんなことを!
えっ いったい
あんたは だれなの
預言者ででもあるの?
 
イエスは おだやかに
微笑をつづけていた
何もいわなかった
が その無言の微笑の前に
女は目を伏せずにはいられなかった
足がふるえてきた
なにくそとふんばっても
だめだった
 
女は逃げだした
ふりかえると
おだやかなイエスの微笑が
あとを追ってきた
 
わたしゃ いま
預言者にあってきたよ と
女は あう人ごとに
吹聴してあるいた
 
その女の真剣さに
人びとはおどろいた
これまで一度だって
彼女の真剣な顔というものを
みたものはなかったからだ
 
といっても
女のみもちがあらたまったわけではない
あいかわらず
男から男へ--
 
だがかわらぬようで
女はかわったのだった
その眼のおくに
あのイエスのおだやかな微笑を
やきつけたから
その耳の底に
いのちの水という言葉を
やきつけたから
 
だれもみていないところで
みもだえしながら
彼女ははげしく泣くのだった
彼女のみもちが
すっかりあらたまったのは
不思議なあの人
イエスが
重い十字架を背に
よろめきながら
ゴルゴタの丘をのぼる
その姿をみたときからだった
石ころにつまずき
膝をついた
イエスのそばに
思わずかけよろうとしたとき
一瞬 あのおだやかな微笑で
イエスは彼女を制し やさしく
こういったのだった
 
ああ おまえさんかい
わたしのことなんか
心配いらん
それより
自分のことを 本気で
心配したほうが
いいよ

(ヨハネによる福音書4・1~26)