牧師の部屋

永井明著「詩的イエス」

野の百合・空の鳥

先生 ちょっと……

山を下るイエスを
若い男が追ってきた
 
先生の話ききました
野の百合を見よ
空の鳥を見よ
と あなたが天を指したとき
わたしのこころは躍りました
ちっぼけなことに
くよくよしている自分が
すっぱだかになり
鳥のように
のびのびと自由に
大空をかけるような
いい気持ちになりました
先生は
声もいい声なんですねえ
わたしばかりではなく
みんながうっとりしてましたよ
 
でも いま ふと気がついたんですが
先生の話は
ちょっとおかしいんじゃないんですか
空の鳥をごらん
たねまきもしなければ
刈り入れもしない
野の百合もそうだ
糸紡ぎをするわけでもない
何ひとつ仕事をしないのに
神さまは この百合の花を
ソロモン以上に美しく装わせたもうた
先生
こうお話になったのでしたね?
そうだ そのとおりだよ と
イエスはうなずいた
 
だが わたしは いま気がついたんですが
鳥だって 百合だって
働いているんしゃありませんか?
鳥は木の枝に巣をつくって
ひなを産み
そのひなを育てるために
せっせと餌をさがして運んでくる
それは人間のお百姓が
畑で働くのと同じではありませんか?
 
なんだ おまえさんは
と 弟子のペテロが
ぎょろりと眼玉をむいた
うちの先生にけちをつける気かい!
 
これ これ
話はしまいまできくものだ
イエスは ペテロをたしなめた
 
百合だって そうですよ
地下に張った根は
葉や茎をのばし花を咲かせるために
水やこやしを
どっどっ吸いあげている
それは糸紡ぎの労働と同じではありませんか?
 
なるほど なるほど
あなたのいうとおりだ
イエスはにこにこといった
ちょっと わたしも調子にのって
ロがすべったかもしれぬ
 
じゃ あなたは
あやまりを認めるんですね?
 
まあ そうせっかちにならんで……
空の鳥も
野の百合も
働くことはたしかだ
しかし
人間とは決定的に違うところがある
わかるかなあ 若いあなたに?
 
わかりません
はっきりといってください
 
鳥もはたらく
百合もはたらくが
鳥や百合には
人間のはたらきにつきまとう
虚栄と虚飾がない
鳥や百合は
はたらくことがそのまま遊びだ
たのしみだ
自由だ
天の父にすべてをまかせきっている
わたしたち人間も
そのように
自由に自然に生きようではないか
こせこせ せかせか生きてもはじまらぬ
わたしがいいたかったのは
そのことだったのだが
わかってくれたかね?
 
わかったともわからぬとも
若者はこたえなかった
ただ若鷲のような鋭い眼で
にらみつけていた
イエスの前に
ふいに膝をつき
たのみます 弟子のひとりに
してくださいと
深々と地べたに
頭をつけたのだった

(マタイによる福音書6・25以下)