牧師の部屋

永井明著「詩的イエス」

ペテロ泣く

おまえは
わたしを愛してくれるかね
と シモン・ペテロにたずねたのは
復活のイエスだった
主よ
と ペテロは驚いていった
わたしが
あなたを愛していることは
あなたがご存じじゃありませんか

だが イエスは
ふたたび問うた
シモンよ
おまえは わたしを
愛してくれるかね

わたしが
あなたを愛していることは
ご存じじゃありませんか

シモンよ
おまえは わたしを
愛してくれるかね

ペテロは情けなくなった
くやしくなった
三度も同しことをきくなんて
あなたは わたしの心の中を
すっかりご存じのはずじゃありませんか
わたしがだれよりも
あなたを愛していることは
あなたの知っておられるとおりですよ!

イエスは 大きく
大きくうなずいてくれた
それで
ペテロは
ほっとした
やっと心がやすらいだ

だが なぜ
イエスは
三度も同じことをきかれたのか
それも
自分を愛してくれているかなどと
いうようなことを
イエスには
このおれのこころが
わかってもらえんのだろうか

ペテロにはわからなかった
イエスのこころが謎となった
復活のイエスを信じるといっても
そのことを思うと
冷たい鉄の壁のようなものが
遠く遠くイエスを
ひき離してしまうのだった

ペテロはこころが晴れなかった
ある日
ガリラヤ湖へ行った
湖岸に腰をおろし
頬杖をついて
湖水をながめた

一そうの舟も
ひとりの人影もなかった
水はただ青く
時折小波が
しわのような模様をあちこちに
音もなくつくるだけだ

なつかしい故郷の湖
ここへ来るだけで
こころはやすまるはずなのに
ペテロは
いっそう苦しくなった
ああ この湖ではじめておれは
あの人をみたんだ
あの人のいうことをきいて
綱をおろし
大漁にびっくりして
おれはあの人の弟子になった
いや 大漁におどろいたんではない
あの人の威厳にうたれたんだ
そうだ あの人の眼の光だ
あの人なら このおれの
こころの底の底までもみとおして
わかってもらえる
そう信じて
ついて行ったんだ
舟も網もすてて
ついて行ったんだ
それなのに
あの人ときたら……
ペテロは立ちあがった
湖水にむかって歩きだした
じっとしていられなかった
葦の枯れ葉が
はだしの足にさわった
そのままペテロはかまわず
まっすぐに
湖水の中へ足をいれて行った

水は冷たかった
ひたひたとくるぶしから
膝の下まで
あ とそのとき
ペテロは
短い叫び声をあげた

思い出したのだ
あのときのことを
忘れていたわけではない
忘れられるものか
おれは
イエスを知らぬと
それも三度も
知らぬといったのだ
三度も
知らぬと

おれは あの人を愛している
あの人といっしょなら
牢へも行く
殺されたって平気だ
そういったらあの人は
おまえには
そんなことはできやせん
と笑った

腹がたったが
そのとおりだった
おれは
あの人を
裏切ったのだ
あんな人は知らぬ存ぜぬといって

ペテロは あのとき鳴いた
おんどりの声を思い出した
そして あのとき
ふいにふリかえって
自分をみつめた
イエスの眼を思い出した
怒った眼ではなかった
悲しい眼だった

ペテロは泣き出した
湖のまんなかに突っ立ったまま
泣き出した
ああ
あの人は わたしの裏切りを
ゆるしてくれたんだ

知らぬ 知らぬ 知らぬ
といったわたしの口から
愛する 愛する 愛する
といわせて
わたしに裏切りのつぐないを
させてくれたのだ

やっと いま それがわかった
イエスのやさしさが
わかった

ペテロは子どものように
声あげて泣きながら
湖水にむかって駆けだし
冷たい湖水に からだごと
涙だらけの顔をつけて
なお
泣きに泣いた

(ヨハネによる福音書21・15以下)