あとがき
近頃は、<史的イエス>に関する議論が大変さかんだそうですが、
わたしの心を捉えたイエスは<史的イエス>ではなく、<詩的イエス>
でありました。わたしにとって福音書のイエスは、死んだ、過去の
イエスではなく、今も生きて、このわたしに語りかけられるイエスで
あります。
この貧しい詩集は、そのイエスと私との対話だと思って読んで
いただければ幸いです。福音書をひもとく度に私の心にゆらめき、
映ったイエスの姿を、思いつくままにわたし自身の乏しい言葉で書き
綴ったものです。詩集といいましたが、文学的な意味での詩と呼べる
ものかどうかの自信は全くありません。
彼の語りかけには比類のない爽やかさがありました。泥々
に汚れて身動きもできなくなったわたしの心が、そのきびしい爽やか
さによって、どんなに慰められ、励まされたことでしょう。ついにわ
たしは彼の前に跪かずにはいられなかったのです。この小詩集が、こ
うしてわたしのかけがえのない救い主、キリストとなったイエスへの
ささやかな賛歌となれば、それでわたしの願いは達せられたのです。
正しいイエス傾が描けたなどとは夢にも思いません。ただ甚だしく傷つけ、歪めることがなかったように、ひたすら祈るばかりです。このようなものを拾いあげて一冊にまとめてくださった中央出版社の山口神父をはじめ編集部の皆様の厚意にあつく感謝します。また末文になりましたが、佐古純一郎先生から懇切、身に余る序文をいただき本当に光栄です。ゆるされるなら、いつの日かまた続編をと願っています。1975年3月4日永 井 明