教会堂・園舎、牧師館建築報告
1989年1月、埼玉県の事業委託を受けた首都高速道路公団より高速東西線(仮称)新設の説明を受け、教会はすぐに道路対策委員会を作って備え、複数回の懇談会を開催した後、最終的には県の事業計画に対し、価値判断をしないこととし、実質この計画を受け入れる方向で、教会堂・幼稚園園舎、牧師館の立ち退き移転について検討を始めた。代替地は旧アスモ工場跡地南東部の物件がバブル崩壊と共に立ち消えになってから、候補地として独自に20あまりの物件を探したが条件が整わず、与野市が現グラウンドを公園とすることを条件に提案し てきた旧アスモグラウンド内(現在地)を公団からの立ち退き先代替地として認め、買収を受け入れることとした。(1996年3月)
建築については、会員による会堂建築特別献金に首都高速道路公団の補償金を合わせて充てることとし、建築予算は4.3億円を組み、さらに備品も新会堂に合わせ新しくすることとした。旧会堂で使用していた礼拝堂の家具は、加須教会、坂戸伝道所、狭山伝道所、佐野教会、初雁教会、冨貴島教会で用いられ、想い出も長く保たれることになった。旧礼拝堂に掲げていた十字架は、 リフォーム後、新会堂の2階ホールに掲げることが出来た。
1994年6月の第1回教会全体協議会をスタートに数多くの協議会を開き、建築に向けて学びと意見の集約をした。同時期に、礼拝後に建築のための祈祷を開始した。1995年10月からは、祈祷部会によって礼拝前にも祈祷を開始し、完成まで続けた。
教会堂・幼稚園園舎については、松ノ井建築設計事務所に設計、監理を依頼した。寺田晶彦室長は建築部会や教会全体協議会で出される教会の要望を十分に取り入れて設計案を作成された。新会堂は、それまでのスリッパ利用から土足で利用する形態に変更した。
1996年11月には施工業者への説明会を開催し、県内に支店を置く5社に見積を依頼したが、結果はどこも予算を大幅に超えていて不調となった。設計変更後もなお厳しい条件であったが、佐田建設東京支店が請け負ってくださり、 1997年1月19日にようやく教会堂・幼稚園園舎の起工式を迎えた。9ヶ月の工期を無事故に、かつ最良の会堂が完成したのは飯島勝美監督の優れた働きに負うこと多く、感謝に堪えない。
牧師館建築については、旧会堂のメンテナンスに協力してくれていた、地元の高砂建設と1996年12月に契約を結ぶことができ、「ソーラーサーキット構造 」の高気密高断熱ハウスを1997年9月に完成した。地元西川材を多用した暖かい住宅にしていただいた。
1997年11月2日には引渡し式となる「定礎の祈り」を礼拝後に持った。定礎石には「あなたの神、主は生きておられる」を聖書から選び、 中村忠明牧師の筆で記した。新会堂最初の礼拝は11月16日「聖徒の日記念礼拝」であった。
講壇部の家具は大和田工芸(大田原市)に、会衆席は中村工芸所(甲府市)に依頼した。カラーコーディネイターとして高橋悦子牧師(桶川伝道所)に協力をいただいた。
私たちの課題は、2年前(1996年)の「信徒の友」誌を通じて、国内外の教会や兄弟姉妹に祈られ、61通の祝福ととりなしの葉書をいただいた。
この会堂をもって、会員一同の神賛美は21世紀に続くこととなった。栄光はただ神に。
(当教会月報「つのぶえ」1998年3月号より)
これ以降、1998年6月号「信徒の友」誌 −ここに教会がある−
2000年3月号「信徒の友」誌 −新・教会の表情−
に、教会や新会堂の様子がとりあげられています。
*大和田工芸にムクのナラ材を彫り込んだ木製の聖餐具を作っていただきました。