ヨルダン編

 

ホテルには夜暗くなってチェックインできました。

4日目。 朝になって、ペトラ遺跡に。

 そう、インディー・ジョーンズ3作目の「最後の聖戦」のロケ地、それがペトラ遺跡なのです。

こんな土産物屋が入り口にありました。入っておけばよかった。

「ペトラ」とは主イエスの弟子のペトロと同じく、「岩」という意味です。

ここにはBC9〜8世紀にセーラ族が住んでいました。BC5世紀にサウジアラビアから移動してきたベドウィンの一族ナバテア人が支配し、岩を利用した都として栄えました。その後BC106年にローマ帝国のトライアヌスの支配下に入り、AD4世紀のビザンチン時代にキリスト教化されました。その後イスラムの支配下になったが、AD769年の大地震で廃墟になり、12世紀の十字軍が要塞を築いた外は目立った動きはなく、その跡にベドウィンが住んでいました。
 ベドウィンは外部の人との接触を拒んでいたので遺跡の存在はヨーロッパに知られていませんでしたが、1812年スイスの探検家ジョンブルグ・ハットがエブラハム・アブドゥという偽名を使ってこの地に入り、この遺跡を発見しました。

 

駐車場から遺跡の入り口までは馬に乗りました。みんなインディーです。

車の運転より素質あるかも!? めくん

 

 

ペトラ遺跡の入り口です、シークと呼ばれる岩のすき間の道を進みます。

シークの中にはこんなすき間もありました。

1qほどの道を楽しんで歩くと、いきなり視界が開け、それは登場します。(^O^)/

シークの突き当たりの岩壁に彫られたのは、エル・ハズネ(アラビア語で宝物殿の意味)です。高さ41m、幅21mもあります。人間のサイズで比較してください。「インディ・ジョーンズ最後の聖戦」で、三日月の谷を越えて最後にたどり着いた神殿ということで、チラっとこの建物が登場しているのです。

映画と同様に、この遺跡に入ってみると、突然蜘蛛の巣をかき分けてギロチンが襲ってくるし、「エホバ」(ユダヤ教の聖書に相当する「タナハ」の神さまの名である「ヤハウェ」の読み間違い)の順に床のパネルを辿っていかないと足元が崩れて落下し て串刺しにされるし、一番奥の部屋ではもう少しでイエスの聖杯を守る十字軍の白ヒゲの騎士に斬り殺されるところでした。(^_-)
幸い、映画館でこの場面を観ていましたので、仕掛けの謎は知っていましたから問題はなかったのですが、多くの観光客は最初のギロチンにやられていたようです。

どうやって彫ったんでしょうね・・・「すごい」の一言です!!でも・・・高すぎて首が痛そうです(笑) みん

ペトラ遺跡入り口の写真のような、そそり立つ岩の間をずぅ〜と歩いていくと、突然目の前にドドーーンと宝物殿が現れるのです!ああ!そのドヒャ〜〜〜という経験をあなたもぜひ! めくん

 YouTubeでPetraを見ることが出来ます。


 

実は、あの宝物殿はペトラ遺跡のほんの入り口にすぎません。全体は広大で、全部見学するには1週間もかかるのです。で、ほんのちょっとだけ先に行きました。

お茶屋さんまで行ったところで、帰る時間になりました。

3ドル出して、ロバに乗せてもらい、宝物殿まで戻りました。砂利を敷いた登り道だったので、助かりました。

乗ロバ、楽しかったです。癖になりそうです。 めくん

ラクダ、馬、ロバとそれぞれに楽しかったです。ロバって二人乗りができるのですね。 まっきー

 

 

観光用騎馬警官の姿も見ました。

 

ペトラで昼食を食べて、ネボ山に向かいました。

途中で、土産物店に入りました。

ヨルダン人ガイドのミスマールさんとアラブ人のふたり。部族や年齢によって巻き方が変わるのだそうです。

みんなが“カワイイ”“カワイイ”って言ってくださるのでぇ〜、本人もその気になっているポーズです。 めくん

わたしはお土産に買ってきたので、いつかこのスタイルになって、幼稚園の門の前で、子どもたちを迎えようと思っています。引くだろうなぁ。 まっきー