園の墓(Garden Tomb)

 ここはかつてのソロモンの石切場で、エレシアの洞窟と呼ばれていた。殉教死したステファノを記念する聖ステファノ教会(ドミニカ会)の庭から発見された岩窟墓の続きで、ローマ・ビザンチン・ヘロデ時代の墓があり、地下には大貯水池がある。

 1883年、イギリスの退役したゴードン元将軍が、ドレスデンのオットー・テニウス説に基づき、ここを発掘し、骸骨場の岩とその下の墓(AD1世紀ヘロデ時代のユダヤ人の墓)を発見した。それで、「ゴードンのカルバリ(Gordon’s Calvary)」と呼ばれる。彼は十字架張り付け場所とイエスの埋葬方法が仮説的に一致するため、ここをゴルゴタと考えた。ヨハネ19:38−42から「園の墓」と呼ばれた。

 主イエスの死、埋葬、復活の説明に適した場所と背景を持ち、ヨハネ20:1−18にも適合する場所である。