聖墳墓教会

 ローマのハドリアヌス帝がエルサレムを135年、Aelia Capistolia として再興した時は、ここにはローマの多神教の神々を祭るハドリアヌス神殿があった。

 326年、東ローマ皇帝コンスタンチヌス帝の母、ヘレナが聖地訪問をした時、このなかのヴィーナス神殿跡がカルバリであることを発見した。コンスタンチヌス帝はハドリアヌス神殿を他に移して、336年に荘厳なバシリカを建てた。614年にササン朝ペルシャがこれを破壊した。Abbot Modestos が再建したが、スルタンのハキム王が破壊した。1048年、Monomachus帝によって再建され、1149年、十字軍により最終的に完成された。

 1187年、十字軍はクルド出身のサラディーンに敗れたが、サラディーンは教会の権利をイスラム側に与えるという条件のもとに、キリスト教との使用を許した。キリスト教各派からの権利要求に対して、仲裁として、各派分割権を考案した。

 1934−44年、英国は現在の鉄筋コンクリート造りの聖墳墓教会を完成した。1958年、各教派は、教会内を分権し、教会の修繕について統一意見を持つに至った。現在、教会内は、ローマカトリック、ギリシャ正教、アルメニア、コプトなどに分かれている。