コプト教会
コプトとはエジプトの意味であるが、一般にはエジプトの原始キリスト教を指す。AD3世紀以降、キリスト教が信仰され、ローマ帝国時代の迫害にも耐え、5世紀には全盛となり、7世紀のイスラム教侵入とイスラムへの改宗までをコプト文化と呼んでいる。
「聖セルギウス教会(St.Sergius)−アブ・サルガ教会」
AD296年10月7日、ローマ帝国マキシミリアン皇帝により、ローマ将校であったセルギウスとバッカスが殉教した。セルギウスの名が付けられた教会堂。
聖家族(ヨセフ・マリア・幼児イエス)の逃避した洞窟(Crypt)の上に、5世紀に最初の教会堂が建てられたが、焼失してしまった。1171年、サラディーンのアイユーブ朝時代に再建され、1190年のファティーマ朝時代に完成した。このバシリカ式教会堂がその後の教会堂建築のモデルとなったと言われる。
聖家族が100日間逃避していたという地下道は、階下にあって、水没したままになっていて入ることはできなかった。
教会堂内部の中央には天使に囲まれたキリストが、右の壁面にはキリスト誕生の場面が再現されている。説教壇は聖バルバラ教会にあったもののコピーで、象牙(エボニー)でできている。最後の晩餐の彫物は、古代エジプトのテーブルで、今日のコプトのものに似ている。
コプト教会では、6月1日を聖家族逃避日として、今日でも礼拝を続けている。
「ベン・エズラ・シナゴーグ」
ここは、一時ハンギングチャーチ(天使ミカエルの教会)の一部であった。
ミクヘイル3世大司教がユダヤ人に売り、税金を納めさせた。ユダヤ人はこれをシナゴーグに作りかえた。ユダヤ人はここはキリスト以前にさかのぼる場所と言い、モーセもこの地に住み、エレミヤもここで祈ったという。これが正しいなら、古いシナゴーグはどこかで破壊されたことになる。
この建物は、AD1115年、ラビ・イブラヒ・ベン・エズラがエジプトを訪れた時、再建されたもの。
今回の観光コースには入っていなかったが、コプト教会は他に、聖バルバラ教会、聖ジョージア教会、アル・ムアッラカ教会(Hanging Church)などの教会やシナゴーグがある。