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エジプト・イスラエル旅行 イスラエル編(死海〜ベツレヘム)
4日目にして、タバで国境を通過し、イスラエルの地へ。
すんなり通してくれるかと思ったら、私のボストンバッグにストップがかけられ、中身を見せることに。どうやら四角い物体が透視装置で見つかったため。そいつはタオルに包んで、シナイ山から持ってきた石。爆発物ぢゃないです。
「知らない人から荷物を預かっていないか」「前日はどこに泊まったか」と聞かれても、言葉が分からない振りをして(^^;)やり過ごすこと。英語をしゃべるのは河野先生だけで、ツアーの面々は何にも分からないそぶりで、なんて注意を受けていたので、みんな超緊張。緊張のあまり、税関でパスポートを受け取るときに、ついサンキューなんてネ。(^^ゞハハハ
イスラエル側に入るといかめしい人物がやってきて、私たちをバスまで連れて行くので、また緊張が高まったのですが、これがガイドの榊原さん(これ以降、バラさん)。人相が悪そうだし、どんな旅になるのか不安な出発だったのですが、1時間もして、これは面白くなりそうだとの感想を持つようになりました。
さて、陽も十分にかげった頃、死海の「塩の柱になったロトの妻」をイメージさせる岩塩採取場に到着。
みごとな塩の結晶を拾って、死海アイン・ボケックの「ホッドホテル」(☆☆☆☆)へ。風があって寒く感じたので、死海浮遊体験は明日だ、と思ったら、早朝出発!とのこと。
本日は、エジプトのシナイ山登頂に始まり、死海までの旅路でした。
本日の旅の総歩数は、29000歩。
5日目の今日の行程は、死海からマサダ、アラド、ベエルシェバ、ベツレヘム。バラさんの計らいで、ベエルシェバからヘブロン(パレスチナ自治区)を通ってベツレヘムに行く60号線を走ることになりました。族長アブラハムが、たどった道を走るんだ!
出発前のどさくさに紛れて、泳げないからいいよと言う「しげちゃん」を脅して、ホテルのビーチでパンツいっちょにして水の中へ。掴まるための棒もあるので安心。真水のプールじゃこうは浮かないでしょ。
しげちゃんのちょっと前に一人で浮かんでみました。この朝、ホテルの出発は何と8時。それは、マサダの要塞へ登るケーブルカーの始発が9時なので、一番先に登ってしまう計画だったからです。混むと順番待ちの列が長くなり、あとの予定に響くのを嫌がったからですが、ズバリ大正解でした。
マサダの要塞から死海方向を見渡したところです。
マサダのシナゴーグ跡。中央奥が「至聖所」。
マサダから、アラドの遺跡を訪ねました。本来は、バスの窓から遠望するというプログラムだったのですが、朝が早かったので、寄ることができました。そして、ベエルシェバへ。
ベエルシェバに向かってバスは進みます。アブラハム、イサク、ヤコブの三代が住んだ丘です。
角のついた「祭壇」です。これは、逃れの場を求める逃亡者がこの角をつかむ時、それにより自らの身を神の保護のもとにおくことができました(列王紀上1:49-53)。しかし,故意に殺人を犯した者の場合には無効となりました(出エジプト21:12-14)。角は祭壇のきよさを象徴しています。もちろん、みんなで角に触りました。
60号線を北上しました。普通の旅行ではここは通りません。「通れない」が近いと思います。すべて「パレスチナ自治区」です。車窓からは、ブドウ畑を多く見ました。初めから寝かされているぶどうの木もあり、日本のものとは大きく異なっています。立っているぶどうの木も、見事に幹だけじゃないかと思うほど、大胆にカットされていました。
アラブ地区の中では、警官は元パレスチナゲリラとのことで、緊張しまくって、写真を撮れなかったので、警官の姿も、手を振ってくれたアラブ人家族の姿も、それに牛の頭がつり下げられていた肉屋さんの光景も残していません。ヘブロンといえば、マクペラの洞窟なのですが、市内には入れず、迂回したので、ヘブロンは通過したのみです。バスのドライバーは、「このルートは初めて通ったがもう2度と通らない」と、言っていました。
で、元気にベツレヘムに到着しました。生誕教会前の広場での記念撮影。旅のあいだ、ヒゲを伸ばすことにしました。
毎年クリスマスになると、この広場は巡礼者でいっぱいになりますが、2000年は紛争のために行事は中止になりました。詳細は上の写真をクリック!
床の銀星は、処女マリアが主イエスを産んだ場所。
これが、中庭に建てられているヒエロニムス像。足下の頭蓋骨は、彼を援助したローマの婦人パウラのもの。
この日の総歩数は、13500歩。