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エジプト・イスラエル旅行 イスラエル編(エルサレム 1)

 第6日、エルサレム旧市街を見学。夕方から安息日(シャバット)に入る

 ゲッセマネの園>オリーブ山>ベテスダの池>ヴィアドロローサ(鞭打ち所、エッケホモ、聖墳墓教会)>鶏鳴教会>カヤパの官邸>最後の晩餐の部屋>園の墓>ホテル>OP:YMCAでのイスラエル民謡舞踊見学

黄金の門

 オリーブ山中腹のゲッセマネの園から見たエルサレムの城壁です。正面の2つのアーチは、1530年にトルコ人により壁でふさがれた「黄金の門」(Golden Gate、美しの門、金門とも呼ばれる)終末の日、メシアがこの門から入場するといわれる。

 また、主イエスはロバに乗ってこの門からエルサレムへ入城された。(マタイ21:8〜11)ペトロが「私には金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言って、足の不自由な人を歩かせた門でもある。(使徒言行録3:1−10)門の左にちょっと頭をのぞかせているのが「黄金のドーム」

万国民の教会&苦悩の教会

 万国民の教会(All Nation’s Church)、苦悩の教会(The Basilica of the Agony)は、380年に、ビザンチン教会として建てられたが、614年にペルシャ人に破壊され、十字軍がのちに再建したが、また破壊された。第一次大戦後バルルッティによって、万国民への募金が提案され、その献金でこの教会堂が建てられた。内部には、12のキューポラとモザイク(主イエスが岩の上で苦悩の中に祈っている光景)がある。左の4人は福音書記者を表し、右には生きる意味が分からず苦しむ人々が描かれている。ここに私たちの姿が重なる。頂上の鹿は、詩篇42編2節「涸れた谷に鹿が水を求めるように/神よ、わたしの魂はあなたを求める。」から造られている。

主イエスが一人になって祈られた岩

 その教会堂の中に、じゃなくて、岩を囲むように教会堂が建てられています。この岩は、主イエスが「アッバ、父よ。あなたは何でもおできになります。この杯を私から取りのけてください。しかし、私が願うことではなく、み心に適うことが行われますように」と、祈られた岩とのこと。(マルコ14:36) 私たちもこの岩に手を置いて祈りました。もう胸がいっぱいになります。

ゲッセマネの園

 「ゲッセマネの園」の一部。ゲッセマネとは油絞りの意で、オリーブの木が植えられていました。

ゲッセマネの園のオリーブの古木

 園にはオリーブの古木が8本あるが、どれも主イエスの時代よりは新しいものです。

オリーブ山中腹から見たエルサレム

 オリーブ山からエルサレムを見渡すことが出来る展望台です。観光客ねらいのスリも常駐しているとのことで、ちょっと緊張しながら、バスから降りました。手前が旧市街で奥が新市街です。

ベテスダの池

 「聖ステファノ門」を通って、入城すると右手にベテスダの池がある。新共同訳聖書では「ベトザタ」と訳されている。38年間も病気で苦しんでいた人に、主イエスが「治りたいのか」と声をかけられ、癒し、歩けるようにされた 人工池の跡。

ヴィアドロローサ

 聖墳墓教会につながる「ヴィアドロローサ」をここから進みます。なんと地下に下りると、昔のままの石畳の道がそのままにありました。この上に人々が行き交う道があるとは思えない、不思議な空間。

エッケホモ教会

 ポンテオ・ピラトが「この人を見よ」(エッケ ホモ)と言った、エッケホモ教会。アントニオ要塞の一部で、ローマの兵士たちがしたゲームの跡が残っている。

ステーション3

 「ヴィアドロローサ」のステーション3。主イエスが十字架の重みに耐えかねて、倒れた場所。レリーフが刻まれているのは、アルメニアカトリックの小礼拝堂です。

ステーション6

 ステーション6。ベロニカが主イエスの額の汗を布で拭った。

聖墳墓教会

 聖墳墓教会。この中にステーション10〜14がある。カルバリ又はゴルゴダ(Scull しゃれこうべ)の丘と呼ばれた場所。

ステーション11

 聖墳墓教会の中。ステーション11。十字架に釘付けされた場所。

ステーション13

 ステーション13。主イエスの身体が十字架から取り下ろされた場所。

塗油の石

 主イエスの身体に油と香油がかけられた岩。(赤い長方形の岩)多くの巡礼者が身をかがめ、この岩に触れ、祈りを捧げていた。この岩ほど多くの人間に触れられた 岩はないだろう。祈る人々の姿に胸が熱くなる。

鶏鳴教会から見たエルサレム

 ヤッフォ門から城外へ出て、シオンの丘にある「最後の晩餐の部屋」へ向かう。狭い階段を上ると、「2階座敷」ではなくて広間に出る。一角にメンバーを集め、河野先生から愛餐を受ける。アカシアの木をくりぬいて作られたカップに、ワインを注いで、「これはキリストの血潮」と、祝福を受けました。

 ついで、「鶏鳴教会」へ。主イエスがペトロに「あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」(マタイ26:34ほか)と、言われたことを記念して、1931年に建てられたもの。ビザンチン修道院の遺跡、ペトロが泣いた洞窟がある。また、ここは大祭司カヤパの屋敷跡ともいわれ、地下には洞窟の中に牢が残されている。この小さい牢に主イエスは一夜留置されたことになる。教会堂はフランシスコ派が管理している。私たちを歓迎してか、鶏が鳴いてくれました。

鶏鳴教会から見たケデロンの谷

 ゲッセマネからケデロンの谷を経て、シロアムの池、そして鶏鳴教会(カヤパの屋敷)に続く道は古くからのもので、下のマカベア階段と呼ばれる石段は、イエス時代のものである。つまり、この石段を主イエスは歩かされたことになる。で、歩くだけではもの足りず、手で触れてみたくなるのです。カヤパの屋敷跡の庭に巨大な松ぼっくりがいくつも落ちていたので、お土産に拾ってきました。

マカベア階段(2000年前の道)

 この石段(マカベア階段)の左側にカヤパの官邸跡があります。

 バスに乗り込んで、園の墓(ゴードンのゴルゴ タ)へ。

ゴードンのゴルゴタ(園の墓)

二人の間の崖がドクロに見えるから、ゴルゴ タ(その意味はしゃれこうべ)と呼ばれるのです。

「園の墓」−主イエスの墓

 主イエスの墓です。墓の中は、 入ったところが控え室(悲泣の部屋)と、右側に遺体安置所に分けられています。5、6人が一緒に入ることができます。もちろん、墓の中は「から」でした。

 エルサレムのホテルは、パークプラザホテル(☆☆☆☆)

 留守を守る教会へホテルからFAXでメンバーからのシャローム・メッセージを送りました。夕方から安息日に入ったので、ホテルのエレベーターは「安息日モード」に入り、自動運転になりました。ホテルの最上階に一度上がり、それから一階ずつ下りてくるのです。私たちの部屋は2階だったので、待ちきれず、階段を使って上り下りしました。外国からの観光客のグループも同様に階段を歩いていました。

 ホテルの広い食堂のわきに小部屋がいくつもあり、ユダヤ人家族が安息日の食事をしていました。家庭で守るときは、パン種を始末しなければならないので、大掃除を省略するためにホテルを利用しているのだそうですが、楽しそうな夕食風景でした。この日から、イスラエルにいる間は、パンはすべて「マッツァー」という、クラッカーになりました。

これが「マッツァー」

 オプションで、YMCAホールで公演していた「イスラエル民謡舞踏」を見に行きました。当日演奏された曲が入ったCDを土産に購入しました。

 この日の総歩数は、14800歩。

 エルサレム 2へ


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