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エジプト・イスラエル旅行 イスラエル編(ガリラヤ周辺)

 3月30日(第9日)、ホテル>カファルナウム>タブハ>山上垂訓教会>ペトロ召命教会>ガリラヤ湖遊覧>ティベリア>コラジン>ピリポ・カイザリア>ゴラン高原>ホテル OP:宝石店

ガリラヤ湖で早朝遊泳

 この日は、ガリラヤ湖入水で朝が始まりました。スゴク冷たいので、気合いで入りました。底はヌルヌルで滑りやすかったです。前日の夜、真っ暗ななか、服部さんが一人で入ったそうです。

 ガリラヤ湖畔を左回りに走りました。途中、マルコ5:1−20に出てくる、「ゲラサ人の解放」の舞台を走ったのですが、2000匹もの豚がなだれをうってガリラヤ湖に沈めそうな崖を見つけることはできませんでした。

カファルナウムの入り口

 「イエスの町カファルナウム」と入口に看板がありました。ブーゲンビリアが咲き乱れる素敵な空間でした。この町こそ、主イエスの公生涯において過ごされた家 があった町です。

ペトロの屋敷跡から見た、カファルナウムの会堂

 ペトロの屋敷跡から(北側)見た会堂。右手に大通り。後ろにはガリラヤ湖。ペトロの家は、網元だった可能性があるほどに大きい。

カファルナウムの会堂にて

 カファルナウムの会堂の中。主イエスも弟子たちもここで礼拝していた。後方の門の奥に見えるのが「ペトロの屋敷跡」

カファルナウムのペトロの屋敷跡

 ペトロの屋敷跡の土台部分。ペトロの家は初代教会時代、家の教会として使用され、ビザンチン時代には八角の教会堂が建てられたとのこと。上には建物があった。入れなかった。

 バスに乗って、丘を登りタブハへ。

この岩の上で、パンと魚を祝福した

 5つのパンと2匹の魚の教会。この岩の上に主イエスは腰掛けた?とか。

 バスで引き返して、ペトロの召命教会へ。

ペトロの召命教会

 中央の岩に近づきたかった。

主イエスがこの岩の上からペトロを呼んだ

 ペトロの召命教会右手の岩、この上から復活の主イエスは、「子たちよ、何か食べ物があるか」と、湖上で網をうっていた弟子たちに声をかけられたという岩。そして、焼いた魚が用意されていたのもこの岩とか。

 本当なら、私の足元まで水位があるそうだが、この年は渇水で2メートルほど水位が下がっているとのこと。バラさんにヘブライ語でその言葉を言ってもらった。驚くペトロの顔が見えるようだった。

大宣教命令の丘

 これが、ペトロの召命教会の向かいの丘の中腹にあった「世界宣教命令の碑」。写真右手に、ペトロの召命教会、そしてガリラヤ湖が広がっています。左手奥が、山上の垂訓教会の方向です。

 ここは予定になかったところ。多くの旅行者はパスしてしまうらしい所なのです。が、私がカラシの木を探しに、丘を登り始めたら、バラさんが行っていいと合図を送ってくれたので、何があるのか知らずに登っていきました。登りながら、「あなたは私を愛するか」という主イエスの言葉が私の心に何度もわき上がってきました。そして、登り切ったところに、この碑を見つけたのです。思い出すだけで胸が熱くなります。

 マタイ28:18−20「私は天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民を私の弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

ガリラヤ湖上から

 湖上から山上の祝福の丘を遠望。湖に飛び込みたかった。

遊覧船でティベリアへ50分

 遊覧船に乗って、ティベリアを目指します。所要時間は約50分。主イエスの時代だったら、どれだけ時間がかかったのだろう。

再現された、主イエス時代の船

 なんと、2000年前の船がガリラヤ湖の湖底から発見され、復元されたのが、この写真。遊覧船に乗ると、ガリラヤ湖を渡った証明書をくれるのですが、その証明書に印刷されていたもの。現物はキブツ・ゲノサレに保存されているが傷みが激しいため一般には公開されていない。

 ティベリアに着くと、レストランで「ペトロの魚(Peter's Fish)」を食味した。白身の焼き魚が出されたが、取りたてておいしいというほどではない。蔭山さんは用意周到で「醤油」を持ってきていた。脱帽。

 食事の後、ようやく近くの空き地で「カラシの木」を見つけ、種を収穫することができた。

 ティベリアとは、AD16年、ラカッテの跡にヘロデアンテパスが建てた町で、皇帝ティベリウスにちなんで名付けたもの。エルサレム滅亡後は、ユダヤ教の中心地となり、ミシュナ(ユダヤ教の慣習法)や、タルムード(ミシュナの解釈)が、ここで集大成され、多くの著名なラビを生んだ。(AD3〜6世紀頃)

 この町はガリラヤ地方の中心都市であったが、聖書によれば、主イエスはこの町に来た形跡はない。

コラジンの遺跡

 コラジンの遺跡。マタイ11:21によれば、主イエスの教えをこの町の人々は受け入れなかった。その後、この町は滅び埋もれていた。

ピリポ・カイザリア

 ピリポ・カイザリア(バニアス)です。ヨルダン川の源流がここ。

ヨルダン川の源流

 岩のすき間から、とうとうと冷たい水が流れ出てくる。この水は南方のネゲブ砂漠までパイプラインで運ばれる。帰ってから、教会でバプテスマをさずけるときに使おうと、昨日のよごれた水と取り替えてこの水を汲みました。

ドルーズ族の町からヘルモン山を遠望

 バニアスからゴラン高原までの長い道の途中、ドルーズ族が住んでいる町からヘルモン山を遠望できた。ヘルモン山はイスラエル、シリア、レバノンの国境にあり、標高2814メートルある。

ゴラン高原。後方はシリア

 ゴラン高原。後方の白い建物は「UM(国連軍)」の建物。ここには日本の自衛隊も参加していた。そして、その奥は隣国「シリア」の町並みが見えた。

ゴラン高原のワイナリー

 ゴラン高原のワイナリー。5時に閉館するというのに、5時に着き、無理を言って土産を買わせてもらいました。帰国後のイースター礼拝の聖餐式でここのワインを使いました。おいしかったです。

 一度キブツに戻ったあとで、ティベリアのダイアモンド研磨工場兼直売所へ行くツアーを組みました。参加は4人。イスラエル土産として「タイピン」を探したのですが、使用する客が少ないらしく見本は3本ほどでしたが、気に入った1コを記念に求めました。結婚記念日でもあるといったら、バラさんの口利きで、安くしてくれ、おまけに妻にはパールのネックレスをプレゼントしてくれました。

 キブツに戻り、みんなに合流して、ゴラン高原のワインで乾杯!最高!(^O^)/

 本日の旅の総歩数は、10800歩。


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