教会トップ >イスラエル旅行トップ >エジプト >イスラエル・死海 >エルサレム >ガリラヤ >地中海 >オランダ
エジプト・イスラエル旅行 エジプト編
成田空港の通称VIP待合室で、グループ結団式を行い、機上の人になりました。KLM航空機を使用して、オランダ・アムステルダム空港まで約13時間。オランダ経由でさらに5時間かけてエジプトのカイロに入るのです。
アムステルダム空港で一番先にしたのは靴を買うこと。出がけに靴を間違えてしまい、つい普段の靴で来てしまったのです。(^^ゞ 1万円也でシナイ山にも登れそうな靴を入手しました。ヤレヤレ。
カイロ空港では、日本人ガイドの田中さんに迎えられ、カイロ郊外にあるホテルへ。ホテルはシェラトン・ヘリオポリスホテル(☆☆☆☆☆−5つ星です)。
2日目はカイロ周辺の観光です。先ずはオールドカイロへ行き、コプト教会とベン・エズラシナゴーグに行きました。これからの説明は各写真をクリックしてください。(説明のないものもあります)
これがカイロ市内を流れるナイル川。河岸にバスを停めて、「ナイルタッチ」。
エジプト考古学博物館を尋ね、数多くの出土品や王たちと対面しました。
カイロ郊外の町ギゼーでバスの中から。ピラミッドのすぐ近くまで、町が拡がっていったのだそうです。
昼食はエジプト料理(豆煮のフルコース)をピラミッドを眺めながら堪能。コエンドロの実、レンズ豆、そのほか沢山。
それでも、ピラミッドを見渡せる丘からは、悠久の昔を感じさせる景色となります。ラクダは観光客相手のもの。ちょっと乗るだけで1ドル取られ、ラクダや警官の写真を撮ったらモデル料としてお金を請求されます。
ピラミッド周辺の治安は悪く、グループから離れたメンバーの1人は数人に取り囲まれ、お金を取りあげられました。
ピラミッドに登ることは禁止されているようですが、石の大きさを知ってほしいと思って、登りました。(^^ゞ
これはカフラ王のもので、使用された石の数は、230万個と推定される。墓の中にも入りました。
スフィンクスは、見学路の遙か下にその土台を置いていて、近寄ることはできません。しかし、4500年前の世界がすぐそこにあるのです。
パピルス製品の土産物屋に行ったり、たっぷり観光。そして、プール付きのホテルシェラトンヘリオポリスへ。
3日目は、出エジプトの旅程をシナイ山の麓までたどるバスの旅です。護衛のためにピストルを持った警官の青年が乗り込みました。行き先はルクソールぢゃないのに。
スエズ運河(紅海のスエズ運河)は、地下道によってくぐり抜けられるようになっています。
運河近辺の河岸は軍事施設があるとのことで、観光は認められていないのですが、なんとかスエズタッチを強行しました。
マラ(にがいという意味)の泉にて。わき出ているのはお湯でした。
昼食をとるために寄りました。
目的の一つ「紅海で泳ぐ」を実現しました。
これからは、陸地の旅です。マラから南へ約80qで、エリムに。出エジプト記15章27節によると、そこには12の泉と70本のナツメヤシの木があったとのこと。しかし、さらに進んで約40q先のレフィディムにもナツメヤシの密生林がありました。出エジプト記17章に出てくる「アマレクとの戦い」の場所です。モーセが手を上げている間はイスラエルは優勢になるが、手を下ろすとアマレクが優勢となった、と記されています。
どうやらここは、今でも危ないらしく、下車は許されませんでした。
少し先に行ったアカシアの木のところで、下車しました。創世記21章21節によれば、ハガルとイシュマエルの滞在地でもありました。(パランの荒野)道路の左右には、赤茶けた岩肌の丘が続いていました。
ある映画で、「シナイ山」として用いられたのがホテルの裏に見えるあの山。でも、本物はカメラマンのずっと後ろにあるのです。私たち夫婦が泊まったのは、正面の二階。見下ろすとプールが、しかし夏の軽井沢並の陽気なので、さすがの私も入れませんでした。ホテルはセイントカタリーナプラザホテル(☆☆☆☆)
翌朝、つまり4日目、午前1時30分に起床して、2時に集合し、バスに乗って聖カタリーナ修道院まで連れて行ってもらい登山開始。ラクダを15ドルでチャーターすると8合目まで乗せていってくれます。高齢者はホテルで待機し、一部はらくだに乗り、いざシナイ山へ!
ハイな精神状態になった私は、かつてエイミー・グラントが歌った「エル・シャダイ(全能の神)」を繰り返し賛美しながら、登り続けました。モーセがエリヤが神と出会った(という)山に私もいる。
満天の星空の下、懐中電灯で足下を照らしながら3時間の道のりです。8合目とおぼしき地点に、山小屋風お茶屋があり、ラクダ組はここが終点。ホットコーヒーを飲んで、一休み。
初夏のシナイ山登頂に必要な装具は、日本人の場合は写真のスタイルです。結構な寒さ対策が必要でした。コンタクトレンズの方は埃対策もさらに必要。化石を拾っては登山客に1ドルで売っているアラブ人の子どもは素足に穴の空いた靴なのです。
ここから9合目付近にちょっとキツイ岩場が待っています。そこは突風が吹くことで知られていて、私たちはまともにそれを食らいました。ゴーっと音が聞こえると私は「みんな伏せて!」と、叫ぶのです。何回かそれを繰り返しました。私の体格でも立っているのはキツイのです。他のグループの女性は岩場に吹き落とされましたから。ものの本には、秒速10メートルの風か吹くとありました。これが冬季にあたると、マイナス5度から10度にまで気温は低下し、岩場が凍りつくのだそうです。
残念ながら、これは8合目で見た日の出です。
頂上で記念撮影です。みんな最高の顔をしていました。蔭山さんの誕生日もここで祝いました。到着5時10分。奥の山が、カタリーナ山。
山頂に建てられた「三位一体教会」
下山途中で道は二つに分かれます。右は登ってきた道。左は「エリヤの泉」を経由する道で、どちらも聖カタリーナ修道院へつながります。泉は、左端の人のちょっと左、山の陰の中に見えています。キツイ階段があるというのでパスしましたが、行ってみたかった。
8合目からの眺め。ラクダをかき分けて登っていたのです。
真っ暗なうちに登ったからよいものの、こんな景色の中を登るのは嫌だなぁ。下山しているときに、すれ違う人がいなかったはずです。登った道をすなおに下ります。
岩しかないと思うようなシナイ山なのですが、とろこがどっこい高山植物が根を下ろして生きています。シナイ山もかつては海底にあった証拠の化石を9合目付近で見つけることが出来ます。教会へのお土産のつもりで、9合目付近から大きな化石を拾って帰りました。
聖カタリーナ修道院が見えたとき、痛む足を引きずりながら、最後尾を歩いた私たち夫婦には素敵なオアシスに思えました。
修道院に着くと、グループの皆さんはお弁当朝食が終わっていて、修道院の開門を待っていました。
修道院の中で最大の見物が、この「燃える柴」。解説は写真の中に。
昼には、カタリーナを出発しイスラエル国境タバへ向けてバスは進みます。
色とりどりの花が咲き乱れる、避暑地でもある紅海ヌエバで昼食をとり、蒼い海に浮かぶコーラル島を眼下に見おろせる展望台に、こんな美しい景色がこの世にあるなんて!(超感動)
わずか3日間でしたが、素敵なガイドの田中さんに感謝して別れ、いよいよイスラエルです。