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エジプト・イスラエル旅行 イスラエル編(ガリラヤ〜地中海へ)
3月31日(10日目)、ガリラヤ>カナ>ナザレ>カルメル山>カイザリア>テルアビブ
まずは、カナへ。カナの婚礼(ヨハネ2:1−12)で有名な町。教会へ行く道には、ぶどう酒屋兼土産物屋が立ち並ぶ。試飲もさせてくれたが、さすがに2本で1ドルではワインとは呼べない代物。
教会への土産にと、燭台を見つけた。
これがお約束の「水瓶」。こんな大きな水瓶7つに水を入れさせ、それをおいしいぶどう酒に変えたとは。
AD4世紀に建築されたビザンチン教会が最初のもの。1881年に建てられた、フランシスコ派の教会には主イエスが奇跡を行った古い水瓶が置いてある。混んでいたので、近くにあるギリシャ正教会の会堂に入った。バラさんの解説が面白いので、声を上げて笑ったら、修道士に叱られた。主イエスの弟子になったナタナエルの生地でもあり、ナタナエル教会もあった。(ヨハネ21:2)
ついで、主イエスの育ったナザレの町へ。「ナザレのふせやに」とか「ナザレの村」などと親しんできたが、行ってみると、当時から村ではなく、ギリシャやメソボタミヤからの主要街道が通っていた街道沿いの町であったことを知る。ティベリアの町が造られるまでは、ナザレが都だったらしい。村では、大工の仕事もそうはなかったのではないかと、納得する。
街角で売っていたピスタチオを買って、食べながらマリアの受胎告知教会を目指して歩く。
受胎告知教会の扉には、主イエスの生涯が銅板のモチーフで描かれていた。左側にあった扉には、アダムとエバの絵から、失楽園、ノアの箱船が描かれていた。そのドアから中に入る。
1Fの礼拝堂では、ちょうどミサをしていた。2Fの広間には世界の画家によって描かれたモザイク画の「聖母子像」が並んでいた。日本人の作として、長谷川路可の「花の聖母子」があった。
マリアの家のすぐわきにヨセフの家があった。地下に下りる階段の奥がそうだ。
この場所がどこだったかラテン語がわからない。
カルメル山のエリヤ像の前。
カイサリアから世界宣教は始まりました。パウロは第2回と第3回伝道旅行の帰り道にここに立ち寄りました。この海の彼方に、ローマがあります。 もちろん、ここでも泳ぎました。で4海制覇。
カイサリアの水道橋跡です。カルメル山から水道が引かれました。
テルアビブのホテルで休んで、早朝オランダに向けて出国するスケジュールでした。ホテルに着いて荷物を下ろしているときに、ホテル前の交差点が封鎖され、警察のワンボックスカーが到着しました。写真左側の車から、ロボットカーがでてきて交差点の先で、アタッシュケースに近づいていきました。お約束ですから、交差点の近くまでいって、写真を撮りましたが、もちろん警官に叱られました。たぶん(^^;)
イスラエルではテロに備えて、放置された不審物の所有者が分からない場合はこれを破壊することになっているとのことで、アタッシュケースに銃を撃ち込んだあと、ロボットが解体しました。
本日の旅の総歩数は、10800歩。
明日は早朝2時40分にホテルを出発し、テルアビブ5:40発のアムステルダム行きの飛行機に乗るのです。