コーラル島(Coral Island または ファラオン島)

 エイラートの南にあり、ソロモン王の交易の港「エツヨン・ゲベル」とされる。 「男の背骨」という意味であると思われる。おそらく地形から出た呼び名であろう。

 民33:35‐36に出エジプト後のイスラエル人たちが、カナンへの途中宿営した場所として出てくる。申2:8によればエラテの次に宿営した所のように思われる。エイラト湾(アカバ湾)に面した場所で、ソロモン王の時代港町として栄えたことがT列9:26‐28、U歴8:17に記されている。エツヨン・ゲベルとエラテが開発されたのは、ソロモン王の時代ではなく青銅器時代の終り(前1200年頃)で、エドム人かミデヤン人によると思われる。ソロモン王時代の後、ヨシャパテ王の時、オフィルへ行こうとした船団がここで難破した(T列22:48)。その後、ウジヤ王の時(前791―739年)、エラテは再建された(U列14:22)が、ヨタムの子アハズの時代に、エドム人に奪い取られてしまった(U列16:6)。

 島全体に見える構築物は、十字軍時代の要塞跡で、サラディーンによって造られたものといわれる。死海の南端ソドムから直線距離にして約200キロで、現在のエイラト湾に達する道路が通じている。