ベツレヘム(Bethiehem)

 エルサレムの南約8qにある町。ユダの丘陵地の海抜760メートルの地点にある。ヘブロン、エジプトに通じる主要道路に沿った町で、温暖な地中海性気候に恵まれており、夏の平均気温は23度、冬は14度で、年間降雨量は平均470ミリである。町は肥沃な土地と、いちじく、ぶどう、オリーブなどの果樹園が多くある古くはエフラタ(肥沃)と呼ばれた。ベツレヘムの意味は「パンの家」。

 ルツとダビデと主イエスの出生地で、ダビデは王になる前は、ここで羊飼いをしていた。

 ここに主イエスの誕生を記念する「生誕教会(Church of the Nativity)」がり、ハドリアヌス帝がここにローマのアドニス神殿を建てたが、325年コンスタンチヌス帝と母ヘレナがバシリカの生誕教会を建て、現存世界最古の教会堂である。生誕の洞窟には、大理石の飼い葉桶、灯篭があり、床の銀星は処女マリアがイエスを産んだ場所とされている。

 教会内はローマカトリック、ギリシャ正教、アルメニア教会が共同管理している。ギリシャ正教のイコンはサンタカタリーナ修道院のイコンと共に世界最古とされている。また、東方の博士たち(マギ)の祭壇と聖ヒエロニムス(St.Jerome)が旧約聖書をラテン語に訳した洞窟があり、ヒエロニムス訳の聖書(ウルガタ訳)は、のちの聖書の標準となった。ヒエロニムスを援助したローマの未亡人パウラと娘エウストキウムを記念した「ヒエロニムス像」が、カトリックの管理する聖カタリーナ教会堂の中庭に建てられている。

 「ウルガタ」は「一般の,共通の」という意味のラテン語。今日もローマ・カトリック教会の公認聖書である。ヒエロニムスは教皇ダマスス1世の依頼を受けて、初めはローマで(383年以後)、その後ベツレヘムで(387年以後)聖書のラテン語翻訳の仕事を行った。ヒエロニムスの旧約翻訳は、ギリシヤ語70人訳だけによらず、ヘブル語本文に重きをおいて訳している点が画期的である。彼の翻訳が他の翻訳にまさるものと認められるまでに数世紀を要したが、1546年のトリエント総会議で「信仰と道徳の問題に対する最終的な決定版」と宣言されることにより権威を確立した。ウルガタ訳の写本は大ざっぱに見ても8千に上り、1907年以来批評版の作業が続けられている。ウルガタには旧約外典も含まれている。

 クリスマスが12/25になったのは、12/17のローマ農業神祭と12/25のミトラス教太陽神祭が統合されたものであるが、本当の誕生は6月と推測される。


◎大半のクリスマス行事は中止=紛争最中のベツレヘムには巡礼も近寄れず=

 【エルサレム=RNS・CJC】(エレイン・ルース・フレッチャー記)イエス・キリストの誕生の地ベツレヘムは、クリスマスともなると世界各地からの巡礼が押し寄せるのが最近の常だったが、今年ばかりは例外となりそうだ。もちろん礼拝は行われるし、クリスマスイブには伝統的な『道行き』もあるが、それ以外のほとんどの祝典行事は中止されることになった。

 パレスチナ自治政府の『ベツレヘム2000』計画がこのほど行った発表では、イスラエル軍ヘリコプターと砲兵隊が市内外の各所でパレスチナ人狙撃者や投石者に銃撃を加えている中では、祝典を中止するというもの。「今年、ベツレヘムは計画されたようにクリスマスを祝うことは出来ない」と同プロジェクトの教会関係担当クリスチャン・ダブドゥブ・ナッサー氏は語った。「子供たちにプレゼントはないだろうし、礼拝者は悲しみの中にあり、巡礼者は来ないだろう」

 「例年のように12月24日には、エルサレムのラテン典礼大司教はベツレヘムに来て生誕教会に入り、予定通りに深夜ミサを行う。しかし昨年の騒がしさや興奮は今年はなさそうだ」

 待降誕節コンサートなど一連の文化的な行事が、数億円規模の資金を投じて修復された古代都市の遺跡の完成を記念して計画されていた。ロシアと米国から招待された聖歌隊もクリスマスイブに公演するはずだった。しかしそれらの催しはすべてキャンセルされた。 大晦日には、昨年は花火が打ち上げられ、平和の象徴としてハトが数千羽放たれたりもしたが、今年は沈黙の中で新年を迎えることになる。

 ベツレヘム近郊にある、羊飼いが夜を明かし、天使がイエスの誕生を告げたベイト・サフルの野は、今ではイスラエル軍などの攻撃によって家を破壊され、住処を失った家族の臨時宿泊所になっている、とナッサー氏は語った。

 イスラエル側は、ベツレヘムのキリスト者エンクレイブズ攻撃は、軍駐在地へのパレスチナ人狙撃者による攻撃に応えたものだ、としている。しかし、パレスチナ側は、イスラエルの反応が、これまでの攻撃に対して釣り合いがとれたものではない、と言う。 「イスラエル側は自分たちの生活を続けて行けるのに、我々は電気や水の供給は遮断され、食糧不足と医療問題も起きている」とナッサー氏は言う。「ベツレヘムは包囲攻撃の下にある。そしてあえて来た観光客も市内に入るのを妨げられる」

 エルサレムのラテン典礼カトリック教会のミシェル・サバ大司教は、これまでのところクリスマスを迎える教会の計画については沈黙したままだ。しかしファンファーレは鳴り響かないにしても、宗教的な行事は例年のように行われるだろうとの期待はある。「荘厳な行列がベツレヘムに向かうことは150年にもわたる伝統的な行事の一部であり、そして教会内での式典は例年通りだろう。我々はクリスマス・ミサを止めはしない」と総大司教の報道係ラエド・アブサリン司祭は言う。

 ベツレヘムに観光客の数が少ないということは、地元の人にとっては昔ながらの生誕教会でのミサに出られるチャンスでもある。例年なら教会は著名人や観光客で一杯になり、地元のキリスト者は入ろうにも入れないところだ。

 「人間的に言えば、我々は今経験していることに絶望するだろう。しかしそれでもなお、これが我々が自由を得る前の最後の日となるであろうという希望を持ち続けている。もしクリスマスが救いを意味するなら、我々は救いを待っている。それは正義を意味し、我々パレスチナ人にとっては、それは独立だ」とパレスチナ人のアブサリン司祭は付け加えた。